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霊木の地、滋賀・高島に石碑 奈良の長谷寺建立へ
2016年3月21日
 長谷観音信仰で知られる奈良県桜井市の長谷寺が、本尊の十一面観音像を造った霊木がもともとあったと縁起に記される滋賀県高島市に4月、石碑を建立する。同市安曇川町三尾里の所有地で、98年前に寺が土地を購入していたことが判明した。寺では「霊木があったという正確な場所は不明だが、長谷信仰がここから始まったという記憶を後世にとどめたい」としている。

 長谷寺は平安中期以降、貴族から庶民まで幅広い信仰を集めた。本堂は7回焼失しており、現在の本尊は1538(天文7)年に復興された。

 伝菅原道真筆「長谷寺縁起文」には、継体天皇の517年、近江国高島郡三尾前山の白蓮華谷に伏す10余丈(30〜60メートル)の楠が洪水で流れ出し、志賀大津浦に69年、八木衢(ちまた)に30余年、葛下郡当麻郷に50余年、城上郡長谷郷神河浦に39年とどまり、720(養老4)年、徳道聖人が十一面観音像を造立したと記す。

 同市音羽に白蓮山長谷寺があり、かつて近くの嶽山中腹にあったと伝えられ、霊木との関係が指摘される。2008〜12年、三尾里地区が地籍調査を行い、長谷寺が247平方メートルの土地を1918(大正7)年に購入していたことが分かった。長谷寺に連絡し、記録が確認された。三尾里は縁起に直接登場せず、大正期の購入理由も不明だが、霊木に関わる伝承があったり、土地の細長い形状が霊木の形を反映する可能性も排除できず、寺と地元が協議・交流を重ねた。

 石碑は一辺23センチ、高さ3メートル。表面に「此付近 大和国長谷寺本尊御衣木(みそぎ)流出歴渉地」と記し、側面に長谷寺縁起文の一節を刻む。除幕式は4月15日に行う予定。

 長谷寺の峯山巧誉総務執事は「高島は長谷信仰のふるさとと言ってもいい大事な土地。今後も地域の方との交流を続けたい」と願う。三尾里地区の元区長で、地籍調査の責任者日置隆さん(67)は「地元では長谷観音の由来も、土地購入の経緯も伝えられていなかった。地域の歴史として伝えていきたい」と話している。

 <長谷寺> 686(朱鳥元)年道明が三重塔を建立し、727(神亀4)年徳道が観音堂を建立したと伝える。西国三十三所霊場第8番札所で、平安時代、貴族の長谷詣でが行われ、中世以降は武家、商人、庶民に広がる。現在の本尊は1538(天文7)年に復興された。右手に地蔵菩薩のような錫杖(しゃくじょう)を持つ様式は長谷寺式と呼ばれる。
京都新聞


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